塩野谷 博山ギャラリー of 株式会社キムラ工房

キムラ工房

八ヶ岳での家造りは 木に詳しい工務店:株式会社キムラ工房(一級建築士事務所)

山梨県北杜市小淵沢町上笹尾3204-45 TEL.0551-36-4563
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無垢の木・自然素材が呼吸する家 キムラ工房オリジナル木組みの家

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塩野谷 博山(はくざん) 氏(通称:博山先生)
 朽ちた自然木との出会い、縄文、"きたな美"
     世界が認める博山ワールド 


塩野谷 博山(はくざん) 氏(通称:博山先生)は、自然木の造形作品や書を中心に創作活動を続ける芸術家。
豪放で力強い作品は、国内に留まらず、海外からも注目されています。1991年には卓子「まがたま」がフランス・ピカソ美術館の永久保存作品となり、スペイン・バルセロナ市とサンゴッサ市でも作品が所蔵されています。
最新作の「シリーズ縄文の椅子」では、木の根っこや切り株の椅子づくりに取り組まれています。

近年は、新宿・京王プラザホテルの日本酒バー「天の川」、ホテルニューオータニの蕎麦店「十和田」、六本木ヒルズ蕎麦店「凛や」など、流行の最先端の場で店舗制作を請われることも多く、博山ワールドは、さらに広がり続けています。

博山ギャラリーは、「ゆったり人生」を楽しむ先生の居間です。


博山ギャラリーは、先生の居間を兼ね、ご自分の作品だけでなく、
長年集めてこられた骨董、旅先で気に入った陶磁器など、
膨大なコレクションの中からお気に入りのものを置かれています。

ご自分で「晩年」と決めた時間を、好きなように遊びながら、
ゆったりと創作して過ごすための場所。

博山先生がいらっしゃる日はオープン、いらっしゃらない日はクローズ。
先生いわく「賞味期限の切れた私以外は、全部売り物です」!

博山先生は、なぜ八ヶ岳・キムラ工房に…?

1932年に青梅に生まれ、その後も青梅にご自宅とアトリエを構え、「多摩の仙人」とも呼ばれる博山先生が、八ヶ岳に、それもキムラ工房にやってきたのは、不思議な人と人との縁からです。塩野谷博山作 卓子塩野谷博山作 卓子

元々山を愛し、日本の3000m以上の山を全山踏破された経歴を持つ博山先生。南アルプスや八ヶ岳もお好きで、この地域にも頻繁に訪れていらっしゃいました。
そんな先生とキムラ工房社長の木村には共通の友人がいます。2007年、その友人と八ヶ岳の主峰・赤岳に登山し、下山してきた先生。初めてお会いしたにも関わらず、木村は先生の魅力にノックアウトされ、強引に青梅のご自宅まで車で送り、車中でも、さらに泊めていただいたご自宅でも、『先生、うちに来てください』と口説き続けました。その後、2度目にお目にかかった時も口説き続ける木村。

先生もさすが「仙人」。普通なら「なにを馬鹿なことを」と本気にしないところでしょうが、「元々好きな土地だし、そんなに言うんなら」と、75年間住み続けた青梅から、ひょうひょうとキムラ工房にやってこられました。
ちなみに、先生が青梅を去る時には、100人以上の方が集まって送別会を開き、別れを惜しまれたそうです

卓子一対「仙境」
卓子一対「仙境」

店舗プロデュース
店舗プロデュース

木彫り看板
木彫り看板

書

「きたな美」、「でかくて、重くて、じゃまなもの」


「きたな美」とは、ご自分の美意識を表した博山先生の言葉。新しいもの、洗練されたもの、華やかなもの、そのような「きれい美」ではなく、古いものや、一見きたないものの中に美しさを見出していくのが博山ワールドです。
しかも、作品は「でかくて、重くて、じゃま」。作品の素材である木の過ごした時間、歴史がどーんと存在し、現代人の中にも奥深く眠っている、自然を畏怖し、自然と共に暮らしていた時代の記憶を呼び覚まします。

枯れた大木との出会い


日大芸術学部で油絵を学びながら、山登りも愛していた博山先生。卒業直前、長野県出身の友人に山自慢をされ、「なーに東京にだって高い山はあるさ」と二人で雲取山に登ることにしました。ところが、雲取山をあなどり、午後から学生服に革靴の軽装で出かけた二人は、ガスの出た秋の山を一晩さまよう事態に陥ってしまいました。
同じ道をぐるぐる回っているうちに、仁王立ちの枯れた大木に出会います。再び出会った時、ぞくぞくするド迫力を感じ、魂が揺さぶられるような気がしたそうです。
この運命的な出会いで、油絵に決別し、自然木を使った造形作品に取り組むようになったのです。

素材は「天寿をまっとうして倒れ、
ボロボロになったような木」が一番


素材にするには、台風で無理やり倒されたような木はダメで、自然木が天寿をまっとうして枯れ、道端に倒れて、苔むし、虫に喰われて腐り、ボロボロになっているようなものが一番いいと博山先生はおっしゃいます。
その木をあまりいじらず、木のなりたいようにしてやって、再び命を与える。それが先生の作品の目指すところだそうです。

しかも、「里の道端」がお気に入りの木を見つける場所。「山にも良い木はあるけど、かついで下りるわけにもいかないから」と、先生らしい理由からです。青梅では、周りの人が「先生良い木があったよ」とか「使い道がないから、よかったら使ってよ」と、どんどん素材を持ち込んできて、木の方から先生の所にやって来る、そんな状況だったそうです。

よく「流木ですか?」と聞かれるそうですが、流木は一度も使ったことがないそうです。「岩や石にごろごろこすられて、痛い思いをした木を使うのは気の毒で、心情的に使えない」というのが先生の答えです。

青梅

博山先生のふるさと、東京・奥多摩の入口に位置する青梅は、現在でも山に囲まれた緑の豊かな街です。
博山先生が子どもの頃は、「箱屋」と呼んでいたタンス屋が軒を並べるなど、今よりももっと、林業を始めとする山の恵みと密着した暮らしが営まれていました。
さらに、 青梅街道に接するご実家の周りは、色々な類の手仕事をなりわいとする店が軒を連ねており、博山少年は、物心付くか付かない頃から、お店に入り浸って様々な加工の様子を飽きずに眺めていたそうです。

先生の作品は、生まれてからずっと先生を見守ってくれた青梅の自然や暮らし方から何か「豊かなもの、おおらかなもの」を受け取っているように思えます。

博山先生幼少時代の実家の周辺博山先生幼少時代の実家の周辺

 塩野谷 博山氏 年表

1932
東京青梅市に生まれる
1950~
日本大学芸術学部で油絵専攻
山を愛し、3000m以上の日本の山を全山踏破
1956
雲取山で出合った倒木の迫力に圧倒され、油絵に決別
1957
勅使河原蒼風氏の元で、自然木や石によるオブジェに取り組む
1962~
ヨーロッパやアメリカの美術館、博物館を廻る。以後、古美術の収集、文様の研究、日本文化のルーツを探る旅は140回
1985~
銀座・松屋デパート「野性木芸の創造展」、以来、池袋・西武、銀座・松屋、銀座・吉井画廊等で作品展多数
1991
フランス、アンチーフ・サンタンドレ美術館にて「博山の世界展」
同地ピカソ美術館に作品、卓子「まがたま」が永久保存となる
1992 ス
ペイン、カトロニア州展示館で作品展。カタロニア州、バルセロナ市、サラゴッサ市が作品所蔵
1993
クリントン、アメリカ大統領就任記念に書作品を贈る
1994
新宿・京王プラザホテルの日本酒バー「天乃川」の店舗製作
1997
ホテルニューオータニ 蕎麦店「十和田」の店舗製作
2008
六本木ヒルズ 蕎麦店「凛や」の店舗制作


1957年から勅使河原蒼風氏の元で、自然木や石によるオブジェに取り組んでいましたが、同年、 25歳の時にお父様が亡くなり、実家のガソリンスタンドの経営を引き継ぐことを決意されました。50歳までは、スタンドの経営と創作活動と、2つを並行して行ない、さらに日本文化のルーツを探って精力的に海外に出かけるなど、忙しい日々を送られました。

50歳になった時、「もう親父も満足だろう」とガソリンスタンドの経営から手を引き、創作にまい進されてきました。
1985年、銀座・松屋デパート「野性木芸の創造展」、1987年、池袋・西武デパートで「博山の木芸展」、さらに1991年にはフランス、アンチーフ・サンタンドレ美術館にて「博山の世界展」が開催されるなど、博山先生の作品は、広く海外まで知られるようになってきました。

「四半世紀ごとに俺の人生には区切りがある」と先生はおっしゃいます。75歳で八ヶ岳に来てくださいました。
「八ヶ岳は、縄文時代は日本で最も多くの人が住んでいた場所の一つ。‘きたな美’の原点、縄文文化の花咲いた土地。そこにも引かれた」ともおっしゃいます。ここで、どんな作品が生まれてくるのか、ワクワク、楽しみに待ちましょう!

作品集

キムラ工房内「博山ギャラリー」でご覧になれる先生の作品です。(2008年8月現在)

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