株式会社キムラ工房・「なんで熊本から八ヶ岳に来たとですか?」

株式会社キムラ工房

なんで熊本から八ヶ岳に来たとですか?(前編)


2005年、キムラ工房広報誌に掲載した弊社相談役・木村浩昭(当時社長)のコラムです。

「社長の出身は?」熊本です。「へぇー、九州男児ですか。でも、どうして八ケ岳に来たの?」よくある会話です。
そこで、今回この質問にまとめて答えたいと思います。まともに話せば3日かかりますが、付き合ってくれますか? なんて、冗談言いながら、今回は簡単に話しましょう。

商人には興味なかたい

私は、肥後の国(現在熊本県)に、4代続く老舗の海産物卸問屋の長男として生まれました。 もちろん両親は跡継ぎにするべく私を育てようとしたのですが、当の本人は小さい頃から商人には全く興味がなく、大工の現場とか金物屋(おじさんが経営)に入り浸り、 金物や端材を貰っては、大工のまねごとをやっていました。

やがて成人して、とりあえず大学に入ったのですが、おきまり経済学部経営学科。 もちろん興味がないので勉強するわけはなく、買う本といえば建築雑誌やインテリア雑誌。親に隠れて読んでいました。

日本も広かねぇ

写真を見ているうちに、どうしても実際に見たくなり、焼き鳥屋のバイトで貯めたお金で安い中古車を買い、寝袋と自炊用具を持って、親には“すぐ帰るけん”と家を出ました。
熊本を出て、さてどこに行こうかと思いましたが、日本地図をながめていたら海に囲まれているので、方向音痴の私は“そうたい! 海沿いに回ればまた熊本に帰れるたい!”。
そのすぐ帰るが、いつのまにか8か月の日本一周の旅になって しまいました。

途中でお金も無くなり、行く先々でいろんなバイトをしました。 いろんな町があって、いろんな人たちがつつましく住んでいま した。多くの人の優しさに触れることが出来ました。 町の風景 も各々に特徴があり、同じ日本なのにこんなに違うのかと。
この町も、もうちょっとこうすれば明るくなるのになあ~とか、結局町の風景の多くは人がつくっている、だったら、私も町づくりの仕事がしたい!

俺ぁ、東京で町づくりのデザインの勉強ばする

久しぶりに家に帰ったら、母は怒りを通りこして“あんた生きとったんね”とあきれていました。 安心した親に頭を下げながら、さらに“俺ぁ、東京で町づくりのデザインの勉強ばする!”と言ったら父に殴られました。
当時自分がやりたいことが見つからず、とりあえず銀行の就職内定をもらって(父のコネ)いたのですが、私が言い出したら絶対曲げないのを知っている父は最後に折れました。

俺ぁ、東京で町づくりのデザインの勉強ばする

さて、念願かなって東京へ。
横浜にいる同級生で設計の仕事を している友人宅に、赤い登山リュックを背負ってころがりこみました。 環境や建築デザインの勉強をするために、昼のバイトをしながら専門学校の夜学に行くのが当初のもくろみでした。
そこで、友人の紹介で始めたのが、家具の木工所でのバイトです。
そこから、八ヶ岳に至る道が始まります。



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